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興味しんしん 田辺先生との思い出を語る

田辺先生との思い出を語る

ここでは、大好きな宝塚歌劇のスターをはじめ、お聖さんと親しく交流のあった各界の著名人が、お聖さんとの思い出を語ります。ほのぼの心温まる思い出、ユーモアたっぷりの思い出、そして、ときにほろ苦い思い出。意外な人から意外な思い出が披露されたりして…どんなお話が語られるのか、まさに興味しんしん!知られざるお聖さんのひととなりにふれていただけます。

著者名

豊田健次(とよだ けんじ)
一九三六年東京生れ。五九年早稲田大学文学部卒業。同年文藝春秋に入社。「週刊文春」「文学界」「オール読物」編集部を経て、「文学界・別冊文芸春秋」編集長に。その後「オール読物」編集長、「文春文庫」部長、出版局長、取締役・出版総局長などを歴任。 著書にそれぞれの芥川賞・直木賞 (文春新書)

なつかしい思い出

 会社をやめる折、次のような挨拶状を、お世話になった方々へお送りしました。
謹啓 時下ますます後清祥のこととお慶び申し上げます さて私こと六月末日をもちまして文藝春秋を退社いたしました 「あさっては皇太子さまのご結婚きょうは週刊文春の発売日」のコピーが紙面を飾った昭和三四年の春に入社して四十年数多くの作家の方々との出会い−現場で処女作・デビュー作・ヒット作・代表作・話題作に接する機会が得られましたことは出版人にとってなによりのことだったと存じます。(後略)
これに対して多数の方からお便りを頂戴しましたが、そのうち田辺聖子さんの書状の一節を引かせていただきます。
長いこと おせわになり ありがとうございました
豊田さんとの思い出は かずかずあって語り尽くせぬくらいです 関西へお出かけの折は また声をおかけ下さいませ これからも どうかよろしく(後略)
田辺さんにはじめて面晤を得たのはいつだったろうか。おそらく、田辺さんが芥川賞を受賞されたときのパーティーの席上だったと記憶します、というより田辺さんの筆によってそれと知らされたといったほうが正確でしょう。
その著『隼別王子の叛乱』の「あとがき」に次のような記述があるからです。
この小説の原型は、昭和三十五年の後半ごろ(正確な時代がわからないので)同人雑誌「のおと」七号に発表した、七十枚ほどの、「隼別王子の叛乱」である。(略)
「のおと」は読みにくい誤植だらけのタイプ印刷で、大阪の片隅でささやかに出していた無名の同人誌であった。それを、文藝春秋の豊田健次氏が丹念に読んで下さって、すでに昭和三十九年にお目にかかったとき、「隼別王子の叛乱」について、一こと二こと批評して下さったことがある。私はびっくりし、とても嬉しかった。それも今はなつかしい思い出である。
なつかしい思い出といえば、編集者相集っての田辺宅の酒宴ということになりましょうか。日本酒やら焼酎、ワインを勝手放題にいただき、数多くの皿に箸をのばし、食べちらかしたのに「歌いくらべ」がはじまります。あらかじめ、田辺さん手造りの歌集が全員に用意されております。表紙はうすいピンク色。中央に「昭和歌謡集」とあり、その左下には「田辺聖子編」と記され、右肩に「私家版」の三文字が罫でかこまれるという凝りようです。収録されている歌はぜんぶで六十九曲。四部構成になっており、第一部は「嗚呼玉杯に花うけて」ではじまる「なつかしの寮歌・校歌」。第二部は「古きを学び舎のうた」には「仰げば尊し」や「故郷」などが。第三部は「ああ戦の最中に」と題されて、「ああ紅の血は燃ゆる」「若鷲の歌」「愛国の花」などがならびます。第四部は演歌。「歌は世につれ・・・」と銘うたれて「別れのブルース」「啼くな小鳩よ」から「花」(川は流れてどこどこ行くの)まで三十曲が隊伍を組んでいるではありませんか。おっちゃん(夫君)が元気なころ、誘われてダンスをしたことがあります。男同士で抱き合っておどるのです。二人とも南国の出身で、毛が濃い。チークになってジャリッ、ゾリッ。なんとも奇妙な気分になった、といっても妙な趣味があるせいではありません。第一部の十曲目に<鹿児島大学ポート部>の唄があり、「・・・思い叶いて/手枕かわし/千歳の契り/結ばんものを」と、みんなで歌ったからなのです。(とよだ・けんじ 文藝春秋社友)

 【 出典 】 田辺聖子全集(1) 月報2004年9月 集英社

2007.11.29

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