楽天少女の歳月切符 田辺聖子の歩み
田辺聖子の歩み
1928(昭和 3)年 0歳 | 3月27日、大阪市此花区(現・福島区)に生まれる。 父・貫一は数えで27歳、母・勝世は24歳。 一家は写真館を経営していた。 |
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1930(昭和 5)年 2歳 | 弟・聰誕生。 |
1931(昭和 6)年 3歳 | 妹・淑子誕生。 |
1933(昭和 8)年 5歳 |
家族写真/1933(昭和8)年1月頃 |
1934(昭和 9)年 6歳 | 大阪市第二上福島尋常高等小学校(現・大阪市立福島小学校)に入学。 |
1940(昭和15)年 12歳 | 淀之水高等女学校(現・昇陽中学校・高等学校)に入学。 絵画部に入部。このころ『少女の友』を愛読。 |
1944(昭和19)年 16歳 | 樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)国語科に入学。 短歌クラブに入る。 |
1945(昭和20)年 17歳 | 動員令により伊丹近くの航空機製作所の工場で働く。 動員解除後は、学校工場で働き、ボタンホールかがりをする。 6月1日の大阪大空襲で田辺写真館焼失。 12月、父・貫一死去。 |
1947(昭和22)年 19歳 |
樟蔭女子専門学校卒業式 大阪の金物問屋KK大同商店に入社。 |
1951(昭和26)年 23歳 | 保高徳蔵が主宰する同人誌『文藝首都』の会員となり、原稿を送り始める。 |
1952(昭和27)年 24歳 | 筆名・相馬八郎で書いた「診察室にて」が『文章倶楽部』に読者文芸小説入選第一席として掲載される。 |
1954(昭和29)年 26歳 | 大同商店を退社。『古事記』『日本書紀』に没頭。 |
1955(昭和30)年 27歳 | 大阪文学学校へ通う。足立巻一の指導で生活記録「私の生い立ち」などを書く。 |
1956(昭和31)年 28歳 | この年さかんに小説を書く。 「花狩」120枚を足立巻一に提出。 「虹」で大阪市民文芸賞受賞。 |
1957(昭和32)年 29歳 | 「花狩」が『婦人生活』の懸賞小説に佳作入選。 大阪文学学校研究科を卒業。 |
1958(昭和33)年 30歳 |
処女出版『花狩』巻頭の著者近影 |
1959(昭和34)年 31歳 | ラジオドラマ「初恋」放送。 |
1960(昭和35)年 32歳 | 文学仲間と同人誌『航路』創刊。 |
1961(昭和36)年 33歳 | ラジオドラマ「めぐりあい」放送。同人誌『のおと』(のち『大阪文学』と誌名変更)に加入。 「容色」(『大阪人』)「隼別王子の叛乱」(『のおと』)「民のカマド〈私の大阪八景 その一 福島界隈〉」(『のおと』)発表。 |
1962(昭和37)年 34歳 | 「陛下と豆の木〈私の大阪八景 その二 淀川〉」(『大阪文学』)「玉島にて」(『航路』)発表。 |
1963(昭和38)年 35歳 | 「神々のしっぽ〈私の大阪八景 その三 馬場町・教育塔〉」(『大阪文学』)「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)」(『航路』)発表。 |
1964(昭和39)年 36歳 |
芥川賞受賞式にて/1964(昭和39)年 『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)』刊行。 年末、東南アジアへ旅行。 |
1965(昭和40)年 37歳 | 『私の大阪八景』刊行。 「求婚」が初のテレビドラマ化(以下「ドラマ化」)。 |
1966(昭和41)年 38歳 | 神戸市兵庫区の開業医師・川野純夫と結婚。 住居は生田区諏訪山の異人館だが半ば別居婚、仕事場は尼崎にあった。 |
1967(昭和42)年 39歳 | 義父死去を機に神戸市兵庫区荒田町に移り、夫の家族と同居。家族は総勢11人。 仕事と家事に多忙を極める。 『わが敵 MY ENEMY』刊行。「わが敵」ドラマ化。 |
1968(昭和43)年 40歳 | ヨーロッパ旅行。「猫も杓子も」(~1969)連載。 |
1969(昭和44)年 41歳 | 『猫も杓子も』刊行。「極楽夫婦」ドラマ化。 |
1970(昭和45)年 42歳 | 「11PM」第2回女流酒豪番付で前頭二枚目に選ばれる。 『ここだけの女の話』『女の日時計』刊行。 「ぎっちょんちょん」ドラマ化。 |
1971(昭和46)年 43歳 | 『貞女の日記』『もと夫婦』『あかん男』『浮舟寺』刊行。 「女の日時計」「もと夫婦」ドラマ化。 |
1972(昭和47)年 44歳 |
『千すじの黒髪 わが愛の與謝野晶子』 「窓を開けますか?」「夜あけのさよなら」(~1973)「すべってころんで」「求婚旅行」(~1974)連載。 『千すじの黒髪 わが愛の與謝野晶子』『女の目くじら』『窓を開けますか?』刊行。 |
1973(昭和48)年 45歳 | ツチノコ探検にでかける。奄美大島に旅行。「文車日記 わたしの古典散歩」(~1974)「言い寄る」連載。 『すべってころんで』『女の長風呂』『求婚旅行』上・中『女が愛に生きるとき』『言うたらなんやけど』刊行。 「すべってころんで」ドラマ化。 |
1974(昭和49)年 46歳 | 『女の長風呂(続)』が第2回日本腰巻文学大賞受賞。兵庫県一宮町に山荘を買う。「夕ごはんたべた?」(~1975)「古川柳おちぼひろい」(~1976)「新・源氏物語」(~1978)連載。『女の長風呂(続)』『求婚旅行』下『夜あけのさよなら』『中年の眼にも涙』『文車日記 私の古典散歩』『言い寄る』刊行。「求婚旅行」ドラマ化。 |
1975(昭和50)年 47歳 |
『隼別王子の叛乱』の大和取材 磐之媛命陵にて |
1976(昭和51)年 48歳 | 伊丹市のマンションに転居。大阪芸術賞を受賞。「朝ごはんぬき?」「私的生活」連載。『イブのおくれ毛(続)』『休暇は終った』『言うたらなんやけど(続)』『古川柳おちぼひろい』『朝ごはんぬき?』『私的生活』刊行。 |
1977(昭和52)年 49歳 |
カモカ連を結成して阿波踊り |
1978(昭和53)年 50歳 | 女性作家たちと香港旅行。ヨーロッパ旅行。宝塚大劇場/東京宝塚劇場で月組が「隼別王子の叛乱」上演。ハワイ旅行。「魚は水に 女は家に」「愛してよろしいですか?」(~1979)連載。『人間ぎらい』『愛の幻滅』『三十すぎのぼたん雪』『大阪弁ちゃらんぽらん』『中年ちゃらんぽらん』『孤独な夜のココア』『新源氏物語』一『カモカのおっちゃん興味しんしんⅠ』刊行。「中年ちゃらんぽらん」ドラマ化。 |
1979(昭和54)年 51歳 | 「朝ごはんぬき?」ドラマ化で、夫とともに出演。ぬいぐるみ「アマエタ」「チビスヌ」を養子にする。宝塚大劇場で花組が「舞え舞え蝸牛」上演。「蝶花嬉遊図」「むかし・あけぼの 清少納言物語」(~1982)「源氏紙風船」(~1981)連載。『新源氏物語』二~五『愛してよろしいですか?』『ヨーロッパ横丁たべあるき』『魚は水に 女は家に』『スヌー物語 浜辺先生ぶーらぶら』『日毎の美女 新・醜女の日記』『カモカのおっちゃん興味しんしんⅡ』『おちくぼ姫 落窪物語』刊行。 |
1980(昭和55)年 52歳 | 東京宝塚劇場で花組が「舞え舞え蝸牛」上演。「お目にかかれて満足です」(~1981)「ダンスと空想」(~1981)連載。『私本・源氏物語』『蝶花嬉遊図』『オムライスはお好き?』『芋たこ長電話』『竹取物語・伊勢物語』刊行。 |
1981(昭和56)年 53歳 |
『花衣ぬぐやまつわる…… わが愛の杉田久女』の北九州取材 杉田久女の句碑にて |
1982(昭和57)年 54歳 | 「ブリリアントなクリスタルカクテル」を作詞。兵庫県文化賞受賞。関西芸術座が「姥ざかり」上演。台湾旅行。「風をください」「返事はあした」(~1983)連載。『お目にかかれて満足です』『苺をつぶしながら 新・私的生活』『苦味(ビター)を少々 399のアフォリズム』『風をください』『歳月切符』刊行。 |
1983(昭和58)年 55歳 | 第1回サントリーミステリー大賞の公開選考会に出席(~1991)。伊丹市梅ノ木へ転居。「恋にあっぷあっぷ」(~1984)「川柳でんでん太鼓」(~1985)連載。『いっしょにお茶を』『春のめざめは紫の巻 新・私本源氏』『返事はあした』『むかし・あけぼの 小説枕草子』『女の口髭』『夢の菓子をたべて わが愛の宝塚』『ダンスと空想』刊行。 |
1984(昭和59)年 56歳 |
神戸の友人たちとサンバを踊る |
1985(昭和60)年 57歳 |
『九時まで待って』取材の時 |
1986(昭和61)年 58歳 | 第40回神戸新聞平和賞受賞。「九時まで待って」(~1987)「ぼちぼち草子 ミスター・ゲンジの生活と意見」(~1987)連載。『田辺聖子の古事記』『どんぐりのリボン』『星を撒く』『女の華やぎ 田辺聖子の世界』『嫌妻権』『浪花ままごと』『田辺聖子の小倉百人一首』『ほのかに白粉の匂い 新・女が愛に生きるとき』刊行。「姥ざかり」ドラマ化。 |
1987(昭和62)年 59歳 | 直木賞初の女性選考委員になる。山本周五郎賞、小説すばる新人賞選考委員になる。『花衣ぬぐやまつわる……』が第26回女流文学賞受賞。「不機嫌な恋人」(~1988)「女が35歳で」連載。『花衣ぬぐやまつわる…… わが愛の杉田久女』『恋のからたち垣の巻 異本源氏物語』『田辺聖子の小倉百人一首(続)』『春情蛸の足』『猫なで日記 私の創作ノート』『女のとおせんぼ』『姥うかれ』刊行。 |
1988(昭和63)年 60歳 | 東京と関西で還暦を祝う「すみれパーティ」「あやめパーティ」を開催。フェミナ賞の選考委員になる。「お気に入りの孤独」(~1990)連載。『九時まで待って』『不機嫌な恋人』『田辺聖子と読む蜻蛉日記』『古典の森へ 田辺聖子の誘う』『ぼちぼち草子』刊行。「台所の聖女」(原作「花衣ぬぐやまつわる……」)ドラマ化。 |
1989(平成元)年 61歳 | 関西芸術座が「すべってころんで」上演。「季刊フェミナ」編集委員、堺自由都市文学賞、朝日新人文学賞の選考委員になる。「源氏たまゆら」(~1990)「ぼちぼち草子 ミスター・ゲンジの生活と意見Ⅲ」(~1990)連載。『ブス愚痴録』『うつつを抜かして オトナの関係』『不倫は家庭の常備薬』『おくのほそ道』『性分でんねん』『結婚ぎらい』『薔薇の雨』刊行。 |
1990(平成 2)年 62歳 | 第10回日本文芸大賞受賞。女流文学賞の選考委員になる(~2000)。「うたかた絵双紙 古典まんだら」(~1992)「ひねくれ一茶」(~1992)連載。『『源氏物語』の男たち ミスター・ゲンジの生活と意見』『夢のように日は過ぎて』『新源氏物語 霧ふかき宇治の恋』上・下『天窓に雀のあしあと』『田辺聖子の味三昧』『今昔物語絵双紙』『東海道中膝栗毛』刊行。 |
1991(平成 3)年 63歳 |
『おかあさん疲れたよ』の淡路島大見山取材「戦没学徒記念 若人の広場」にて |
1992(平成 4)年 64歳 | 大岡信らと「堺に与謝野晶子記念館を建てる会」を結成。「道頓堀の雨に別れて以来なり 水府泡幻」(~1997)「王朝懶夢譚」(~1994)連載。『乗り換えの多い旅』『よかった、会えて』『金魚のうろこ』『ひねくれ一茶』『ほととぎすを待ちながら 好きな本とのめぐりあい』『おかあさん疲れたよ』上・下刊行。 |
1993(平成 5)年 65歳 | 『ひねくれ一茶』が第27回吉川英治文学賞受賞。東京と関西で作家生活30年と著書200冊を祝う会「夢200パーティ ありがとうみなさん」を開催。「鏡をみてはいけません」(~1995)「秋灯机の上の幾山河 ゆめはるか吉屋信子」(~1998)連載。『花はらはら人ちりぢり』『うたかた絵双紙 古典まんだら』『田辺聖子珠玉短篇集』全6巻『とりかえばや物語』『新源氏物語』(全1巻)『姥勝手』『愛のレンタル』刊行。 |
1994(平成 6)年 66歳 | 自筆原稿・初版本などの資料を関西大学総合図書館に寄贈。第42回菊池寛賞受賞。『週末の鬱金香(チューリップ)』『夢渦巻』『ウキウキした気分』刊行。 |
1995(平成 7)年 67歳 | 1月17日、阪神・淡路大震災で被災。東京で大震災チャリティー講演会「ナンギやけど……」開催。紫綬褒章受章。『王朝懶夢譚』『ずぼら』『薄荷草の恋(ペパーミント・ラヴ)』『かるく一杯』『ベスト・オブ・女の長風呂』Ⅰ~Ⅲ刊行。 |
1996(平成 8)年 68歳 | 兵庫県宍粟郡一宮町に文学碑が建つ。『ナンギやけれど…… わたしの震災記』『手のなかの虹 私の身辺愛玩』『鏡をみてはいけません』刊行。 |
1997(平成 9)年 69歳 | 大阪・リーガロイヤルホテルで連続講座「『源氏物語』をご一緒に」を開始(~2000)。関西芸術座が「おかあさん疲れたよ」を上演。大阪府女性基金プリムラ大賞受賞。『お聖さんの短篇 男と女』刊行。 |
1998(平成10)年 70歳 | 古希を祝う「桃花パーティ」を開催。紫式部文学賞の選考委員になる(~2002)。エイボン女性大賞、第3回井原西鶴賞特別賞受賞。『道頓堀の雨に別れて以来なり』が第26回泉鏡花文学賞受賞。一宮町に「Welcome to田辺聖子ワールド」が完成。「姥ざかり花の旅笠 小田宅子の「東路日記」」(~2000)連載。『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代』上・下『楽天少女通ります 私の履歴書』『源氏・拾花春秋』刊行。 |
1999(平成11)年 71歳 | 『道頓堀の雨に別れて以来なり』が第50回読売文学賞「評論・伝記賞」受賞。『楽老抄 ゆめのしずく』『セピア色の映画館』『古典の文箱』『ほっこりぽくぽく上方さんぽ』『ゆめはるか吉屋信子 秋灯机の上の幾山河』上・下刊行。 |
2000(平成12)年 72歳 |
文化功労者に選ばれて |
2001(平成13)年 73歳 | 陳舜臣・藤本義一とともに講演会「作家たちの大震災」を開催。ロサンゼルスの日米劇場で「源氏物語の魅力」講演。「残花亭日暦」(~2003)連載。『小倉百人一首』『姥ざかり花の旅笠 小田宅子の「東路日記」』刊行。 |
2002(平成14)年 74歳 | 1月、夫・川野純夫死去。第5回キワニス大阪賞受賞。『夢の櫂こぎ どんぶらこ』『武玉川・とくとく清水 古川柳の世界』『人生の甘美なしたたり』『iめぇ~る』刊行。 |
2003(平成15)年 75歳 | 母・勝世の白寿パーティ。『姥ざかり花の旅笠』が第8回蓮如賞受賞。『なにわの夕なぎ』『人生は、だましだまし』『女のおっさん箴言集』刊行。「ジョゼと虎と魚たち」映画化。 |
2004(平成16)年 76歳 | 宝塚歌劇90周年記念式典で祝歌「百年への道 虹のカレンダー」(作詞・田辺聖子)が歌われる。『残花亭日暦』『田辺聖子全集』全24巻、別巻1(~2006)『一葉の恋』刊行。 |
2005(平成17)年 77歳 | 伊丹で喜寿を祝う。10月、母・勝世死去。『田辺写真館が見た“昭和”』刊行。 |
2006(平成18)年 78歳 | 『田辺聖子全集』完結。伊丹の柿衛文庫で「ひとつきだけの田辺聖子文学館」開催。NHKが朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」放送(~2007)。東京で「田辺聖子文学活動50年を祝う会」を開催。『ひよこのひとりごと 残るたのしみ』『おせい&カモカの昭和哀惜』刊行。 |
2007(平成19)年 79歳 |
田辺聖子文学館開館セレモニー当日 |
2008(平成20)年 80歳 | 文化勲章を受章。『楽老抄Ⅲ ふわふわ玉人生』『田辺聖子の人生あまから川柳』刊行。 |
2009(平成21)年 81歳 | 伊丹市名誉市民となる。日本放送文化賞受賞。『上機嫌な言葉366日』『楽老抄Ⅳ そのときはそのとき』刊行。 |
2010(平成22)年 82歳 | 『老いてこそ上機嫌』刊行。 |
2011(平成23)年 83歳 | 『田辺聖子の古典まんだら』上・下『われにやさしき人多かりき わたしの文学人生』『一生、女の子』『上機嫌の才能』刊行。 |
2012(平成24)年 84歳 | 伊丹市立図書館ことば蔵名誉館長に就任。 |
2013(平成25)年 85歳 | 『続 田辺聖子の古典まんだら 一葉、晶子、芙美子』『歳月がくれるもの まいにち、ごきげんさん』『男と女は、ぼちぼち』刊行。 |
2015(平成27)年 87歳 | 『おいしいものと恋のはなし』刊行。 |
2018(平成30)年 90歳 | 『女のホンネ男のホンネ』刊行。『私の大阪八景』(改版2017年)が大阪ほんま本大賞特別賞受賞。 |
2019(令和元)年 91歳 | 6月6日 胆管炎のため逝去。関西と東京でお別れの会開催。 |
2020(令和 2)年 | 『田辺聖子の万葉散歩』刊行。「ジョゼと虎と魚たち」アニメ映画化。 |
2021(令和 3)年 | 田辺聖子樟蔭女子専門学校在学時の日記発見。『大阪弁ちゃらんぽらん』(新装版)が大阪ほんま本大賞特別賞受賞。韓国版実写映画「ジョゼと虎と魚たち」日本公開。『田辺聖子 十八歳の日の記録』刊行。 |
2022(令和 4)年 | NHK総合「セイコグラム 転生したら戦時中の女学生だった件」放送。『田辺聖子のエッセイ 女のイイ顔』刊行。 |
2023(令和 5)年 | 『田辺聖子のエッセイ 食べる楽しみ』刊行。 |
2024(令和 6)年 | 関西俳優協議会が「姥ざかり~2024~」上演。 |